※ネタバレ容赦ないためご注意。
まずは内容以外。
夜への長い旅路
1回目
1階の1番後ろの席。舞台の反響のせいか、耳が悪いのもあってか音がうまく聞き取れず、特に大倉くんのセリフが聞き取れなかったが、諸々の空気感がベビーすぎて脳みそが疲れて途中で寝てしまった。笑
でもこの回は遠い席だから、ひと通りの話の流れを把握しようと思って行ったので良かった。
2回目
1階E席の右手。とてもよかった。大倉くんのお腹が。あと、杉野くんの襟が外れてたの気になりまくった。杉野くんの素足美しすぎて見惚れた。忠義さんの顔がいつも横顔。ほとんど後ろ向きだからお尻ばっかり見てた笑。可愛かったな。
3回目
1階D席真ん中らへん。FC枠。大倉くんの用意してくれた席♪
心をタイロン家の皆様に沈み込ませて見ていた。というか本当に自然と、勝手に沈み込めた。1,2回目は2連続でその1週間後だった。
びっくりした。こんなにアップグレードしてるなんて…!!
あらゆる台詞がね、役者に言われるために並べられた言葉じゃなくて、なんていうか、もう生きてたんだよね。口をついて出てきた本心であり本心でない言葉たちという感じで。そんな風に見える体の動き、言葉の発し方…本当のタイロン家の『下手くそな家族ごっこ』だったように見えた。
本当にすごいと思った回だった。
4回目
2階の最後列。これは3回目の1週間後。
この日は私的オーラスだったから双眼鏡で全力で全ての大倉くんの表情を見た。
これまたたまげた。なんとなんと表情の全てが、ジェイミーの言わんとしている思考や感情を示していて、仮に言葉がないとしても伝わるくらい意味を持っていたのだ。
悔しい、憎たらしいのに憎みきれない、弟への歪でも確かな愛が自分を引き止める…そんなジェイミーの表情…本当にすごかった。
そして何より、1回目と発声か何かが変わったのかとてもしっかりセリフが聞こえてきた。良かった。アンケートに書いたら変わってた。すごいと思った。ありがとう楽しかった。
愛してる愛してない
〜タイロン家の下手くそな家族ごっこ〜
難しそうやし理解できるかな?と思ったけど、あら不思議。とても身に覚えのある愛情や憎しみといった感情、それに出来事。
私は長女。妹が心底嫌いだった。そして父を病気で亡くしている。そういう経験で育っていた感覚がジェイミーに寄り添ったのかな。その気持ち少しはわかるよ…となった。
家族の一員の病と向き合うタイロン家。それはとても家族だった。だけどそれ以上に、そんな病の原因になったのが、ジェームズであり、ジェイミーであり、ユージンであり、エドマンドであり、そしてメアリー自身であった。家族全員で足を引っ張りあってしまった家族。
(長くなりすぎるためジェイミー視点でのみ記載)
メアリーが薬から逃げられると信じたかった息子心。期待していた。自分の母親は"そっち側"にいて欲しくない。親愛なる母が病気に負けて崩れていってしまう姿など、見るに耐えないはずなのに、メアリーを目に焼き付けるようによく見ている。顔を見ればすぐに何をしたかわかる。
そんな母親はきらいなはずなのに、逃れきれないほどの心配という愛に溢れてる。悔しさと苦しさで口をついて出てくる言葉の裏にある、どうにかなってほしいがどうにもならないことを憂いているところ、自然に湧いてくる感情の流れだと思って見ていた。
ジェイミーは母親が大好きな子どもだったんだ。
でもジェイミーの、母への愛が生んだ弟ユージンへの憎しみによる行動で、ユージンは死に、母メアリーはジェイミーを憎むことになってしまった。
メアリーは死んだユージンへの気持ちを癒すためにエドマンドを産んだが、メアリーの中にあるのはユージンへ注ぎきれなかった愛情。
エドマンドは、ユージンの代わりにメアリーの愛情を受けているように見えた。
そして結局母を独り占めできなかったジェイミー。
ジェイミーあなたは孤独な人だ。ずっと、ホンモノの愛に飢えて孤独だったよね。ずっと苦しかったね。
ジェイミーが好きだった母親はもういないのに、母親を愛することから逃げられない。
父親ジェームズとのやりとりは、実にこの世界にありふれた普通の親子のようだった。
でもやはり尊敬や感情という感情をすべて上回る男(多義的に同性)同士で認めたくない、尊敬や感謝したくない感覚がいかにも子どもっぽくて、30歳を超えたいい大人なのに、だらしなくて甘えがあるまさに「大きな赤ちゃん」な現れに感じた。
そんなこんな、自分の歪んだ愛情のせいで、家族の形がぐにゃりぐにゃりと歪んでいった。そんな家庭なのに、ジェイミーは居心地悪そうに居座っている。その様が、結局なんやかんやダラダラ続いてきた家族という形を感じた。
でもきっとこの1日が、家族の形をしたタイロン家の最後の日なのかもしれないな。あんな散々な1日が家族最後の日だったのかな。はー苦し。
きっとタイロン両親は、親の顔をしてジェイミーに期待という名の愛のようなものを注いで育てたんだろう。
両親に期待してもらえることを愛だと感じたり、もしくは思い込もうとしたジェイミーもきっと過去にいたはずだと思った。
社会に出たら自分なんてちっぽけでうまくなんていかなかったんだろうな。与えられた脛のかじり方しか教わらなかったから。。。
そしてエドマンド。あなたはジェイミーをちゃんと見れる唯一の人なのかもしれないね。
親友であり兄弟、というのはすごく感じるのだよ。ただ兄弟でなければ親友になんてなることはなかっただろう2人。すごく経験済みの感覚で、異様な家族のなかにありふれた家族の感情に感じた。
みんな他の家族の負のところの覗き見なんてできないからさ、わからないから、さ。みんな「異」なんだよね。ね。
家族愛を持った4人が、そんな愛を歪ませながら、うまく投げられずうまくキャッチできていない、下手くそな"家族ごっこ"だった。本当にお疲れ様でした。
とりあえずエドマンドだけでもしあわせになってね。あとおデブのバイオレット嬢とお幸せにな、ジェイミーwww
家族とは何か、、、
あらゆる形の愛を連ねて日々を送るひとつの人間の集合体
ありふれたような、ありふれていないような、自分では経験しなかったような、したような…
思い当たりのある感情のもっと深いところを生きた人たちの、とある1日の覗き見。
とても面白くとても苦しく、多様な愛の形に触れ、そんな機会を与えてくれた関ジャニ∞の大倉忠義という"役者"を愛することができたことがとても愛おしく胸に幸福に溢れています。
また、この難しくも興味深く面白い作品に携わり、ジェイミー役の大倉くんを包み込んでくださった大竹しのぶ様はじめ素晴らしい役者の皆さま、はるか遠い場所からすぐそばで見守り続けてくださったフィリップ様に多大なる感謝でいっぱいです。
大倉くん、ありがとう。"あの頃"の悔しさを胸に、こうして新しい作品を見て、あなたへの確かな気持ちを感じられることが嬉しいです。
またね♪