大倉忠義とともに生きようか。

惚れたんやから、しゃあないやん?たまに更新。

ハザカイキ4,5 13:00 (ネタバレ有)

 

待ちに待った久しぶりのエイトの現場。

 

丸ちゃんの舞台、ハザカイキ

 

私はあろうことかFC枠での応募を失念して、

一般枠で取ったチケットだったが

まさかのこれがE列の真ん中ブロックと

とても近くて久しぶりにドキドキした笑

 

見やすかった。

 

まぁそれはさておき、この舞台

絶対に絶対に絶対に、すべての芸能記者

eighterとかジャニオタとか関係なく

すべてのSNSユーザーに見てほしい舞台だった。

 

特に2023年を生きたジャニオタ

また、界隈関係なく全てのSNSユーザーには

思い当たることしかないし響くはず。

これは『ネットリテラシー』を深めるための

第一弾目にあるべき心の教育だったようにおもう。

 

 

舞台も終盤になると

とんでもない世界に連れて行かれた感覚になったが

この舞台で扱われたすべてが、

本当に今この世の中で起きていることであり

自分自身がその世界に生きていることに

とても苦しくなったし悔しさと怖さを感じた。

 

すごく胸糞が悪いなと思うシーンもあるけど

それは私自身もうしろめたいことをしたことが

きっとあるんだろうと思った(タニシばっかりとってます)

 

そして自分すら当事者であったかもしれないし、

今後、当事者になるかもしれないということを

再認識させられる舞台であった。

 

これは舞台でしかできないと思った。

画面の中では伝わりきらないとおもう。

それくらい舞台である意味しかないものだった

 

 

 

-------------ここからネタバレするよ-------------

 

 

 

 

話のストーリーとしては、

主人公の週刊誌の記者が、

今もっとも旬な女優の熱愛のリークを受け

それを追いかける中での出来事。

 

 

最終的に記者本人も取材とプラベを切り分けずに

なんの気なしにガルバで撮った

自分自身のふざけた写真をリークされ

顔の見えない世間から誹謗中傷を受ける。

その傷を負った記者は初めて真の怖さを知る。

一線はすでに超えていたかもしれないが

記者として人を殺す前に自分を殺されかけることで

痛みに気づき、人間としての一命を取り留めていた。

 

 

 

舞台は2幕構成

1幕は、追いかけていく表の姿をメインに。

2幕は、それぞれの登場人物の背景をメインに。

 

舞台の上座下座でセットが回転して変わったり

歩道橋という高い位置に移動したり、

真ん中からサウナや居酒屋のセットが現れたり

それぞれほぼ同時並行で進んでいくそれぞれの人生が

視覚的にも時間的にも畳み掛けるようなスピード感で

2倍速人間でも飽きずに見てられて

わかりやすく面白かった。

 

 

てか丸山さんのお尻綺麗すぎ。

わたし的には丸山さんの肛門日光浴ぶりのお尻です。

違う、あの、腹筋絞られてて半端なかった

身体から好きになりそうだった危ない。

終盤のキスシーンのたぬき顔かわいすぎた。

てかタバコもとても色っぽかったわ。

丸ちゃんに酔うた!さいこう!

 

 

 

で、話を戻して〜

登場人物全てに人間らしい人生があることに

フォーカスされたのがよかった。

 

例えば現マネージャーはかつて俳優を目指していたが

挫折して憧れの人の元で働きたくて今に至っていたり

スナックの女の子はいじめられていた妹を守れず

自殺で亡くしてしまっていたりだとか…

 

舞台という限られた時間の中では

たいてい主人公の過去に迫っていったり、

それぞれの共通した過去に迫ることは多いけど

この舞台はそれぞれの登場人物の「今」に繋がる

別々の「過去」にフォーカスが当たる瞬間があった。

 

この舞台に脇役はいなかった。

 

同じ時代をいきている人にはそれぞれの過去がある。

その行動や考えに至る理由と背景がある。

生きているとたくさんの人に出会う。

出会いの数だけそれぞれに過去を持つ長い人生と交差する。

そのたった一瞬の交差点で色々な情報を交わす。

自分の過去から学び得た価値観や正義感と異なると

みな様々な我を正当化し、守りながら攻撃しあい、

互いに傷つけ傷つけられ、苦しみ苦しめたりする。

 

多かれ少なかれすべての人間が持っている

誰かにとっては脅威的で暴力的な一面。

 

それは例えば今回だと

成功した友達への羨望・妬みだったり

LGBTQについていかにも理解しているつもりの差別的な思考だったり

威圧的で大きな声を出せば従うと思う感覚だったり

すぐにパワハラといえば解決する感覚だったり

仕事上知り得た情報でも間違えてると思ったことなら名指しでSNSにあげる行きすぎた正義感だったり

そんな正義感を擁護する感覚だったり

挑発的な言葉で人の興味をひこうとする感覚だったり

 

 

老若男女問わずみんな誰かにとっての脅威であり、

みんな誰かを脅威に思う瞬間もあるもの。

みんなそれぞれに、そんな一面があるんだと思う。

それが全くない人っていないと思う。

あっても別にいいことなんだけれど、

それを許容したり律せてるかどうかの違い。

 

 

このSNSの時代になって、即時に拡散して

自分の不利益なく他者を攻撃できる世になった。

それに伴って、自分なりの正義感を容赦なく

振りかざせるようになった。

そして一度指先で放った言葉は消せない。

 

本当の意図の確認もせず、

その一瞬の表面だけを誇張した訴えに対して

同調するものもつくようになった。

特に、言い過ぎであればあるほど…

「可哀想」であればあるほどに、

「正義感」を振りかざした批判の声は強くなる。

さらにそこにマスコミが火に油を注いでいく。

 

 

たとえそれが誰かがうっかり起こしたことでも

そんな背景ものともせずに結論ベースで責め立てる。

たとえそれが後から間違いだったと言われても…だ。

軽い気持ちで言ったこと、誰も後には引けなくて

謝れないまま燃え尽きるまで燃やすのだ。

 

 

そんな風に過激化していったSNSの世界で

攻撃側になれば自分は攻撃されないと、

大丈夫だと思っていた記者は

結局、「これくらいいいだろ」という

自分自身の何気ない行動に足元を掬われた。

 

自分で沸騰させた鍋に落ちて痛い目にあっていた。

記者の行動はすべて胸くそ悪かったけど、

記者が痛い目にあったからといって

べつにスッキリもしなかった。

きっとこの世の中、その程度の同情なんだと思った。

 

 

謝罪会見のシーンは圧巻で、

結局のところ人と人との交差点で起こる出来事は

○○だろう…とか「イメージ」とかで

自分勝手に構成されている部分がある。

その中で自分のイメージと異なることがあると

すぐ違和感や脅威を覚えてSNSにあげてしまう。

そしてまた互いに傷つけあう…

 

 

登場人物がそれぞれに謝りあうシーンでは

謝ることの大切さを痛感した。

意図的でなかったことや間違えていたことを認める。

特に、風間さんの演じる橋下の謝罪には

胸が詰まるような思いだった。

ハラスメントだとすぐに言ってしまうけれど

もちろんハラスメントは良くないにせよ

時代に追いつけなくなった人たちを

老害だと簡単に切り捨ててしまうのは良くないと感じた。

私たちもいつか時代に取り残される日が来る。

あの時は許された、自分の時はこんな苦労をした…

そう思って変わろうとできない自分に、

少しでも真っ直ぐに伝えてくれる若者がいれば、

すぐには無理かもしれないがきっかけになるかも知れない。

自分もすぐに環境に嫌気がさすとやめちゃうから

少しでも向き合う気持ちを持たなきゃと感じた。

 

もちろん放ってしまった言葉で

相手を傷つけた事実は変わりないし、

謝ったとて全てをチャラにすべきじゃないけど

非を認め、謝れることはとても大切なことで、

人と人は新たな再スタートを切ることができる。

そんな希望じみたものも感じるラストだった。

 

 

 

今の世を生きるすべてのSNSユーザーが見て欲しいし

まず自分も気をつけないといけないなと思った。

自分が見えてる側面だけがすべてじゃない。

そんな当たり前なことわかったつもりだった。

改めて気づかしてくれてありがとう。

ほんとハザカイキ最高だよ。