『関ジャニ∞』
8人で乗り込んだ『関ジャニ∞』という手漕ぎ船
この船、港から海に出港したんじゃないよ…
なんなら淀川の上流からスタートだったよね。
よっしゃ手漕ぎ船でもいったるでー!
というような感じで漕ぎ始めて、
大海原に出ることになった。
でも海は手漕ぎ船には味方してくれやしない。
大海原に出たすぐに、大嵐が来た。
いとも簡単に、内博貴という大事な大事なメンバーをさらっていってしまった。
8人乗りの船だ。
バランスを取り戻しながら漕ぎ続けた。
いろんな所に行って、いろんな武器を身につけた。
楽器、バンド、お笑い、バラエティ、司会、お芝居、しゃべり、食レポ、、、
そしてそれらが『関ジャニ∞らしさ』になっていった。
関ジャニ∞の船、はじめはほんとに何もなかった。
ちょっとあれやけど座布団すわってー、っていうような感覚だったの。茶の間eighterだったからほんとにその感覚が強い。
けど、
船を漕ぎ進める姿に胸を打たれた人
挑戦して真剣に向き合う姿に心打たれた人
そのおしゃべりの面白さにのめり込んだ人
音楽や歌声という武器に惚れ込んだ人
いろんな人が船に乗り込んで船が大きくなった。
8人乗りの手漕ぎ船には、いつしかたくさんの海を渡るための大きな帆やエンジンを増やしていった。
順風満帆な状態とはこの時期か
と思っていた矢先またも大嵐、
しかもひとつじゃない。
まるで船頭のような渋谷すばるが、
自分の船を漕ぎたいと、自分で世界を見たいと
船を降りた。
大切なメンバーの安田章大が大きな傷を負った。
船が進めるかわからないときもあった。
6人でとにかく漕ぎ続けた。
けれど手漕ぎ船は、みんなで息を合わせて
オールを漕がなければ前に進まない。
船頭を多くし船山に登るともいう。
大きなバランスを崩した中で、
それぞれがなんとか前に進むために
必死にオールを漕いでくれていた。
でも、前に進みたいスピードが異なり
今まで通りにいかないことの山に直面し
絶妙に合わせていたオールを漕ぐタイミングの
息が合わせられなくなった。
大きなエネルギーでもあった錦戸亮もまた
自分の船に乗ることとなった。
けれど、あの頃の関ジャニ∞という
大きくなった船を必死に沈まぬように
前に前にと動かしてくれたのは、
紛れもなく亮ちゃんだった。
そして5人で新たにスタートを切ることになった。
「もう、、、これからは」
という覚悟の中で進むことを決めた8人乗りに5人で乗ってる手漕ぎ船
47都道府県を大きくなって戻ってこようとした。
再スタートの矢先、思いもよらない、
あの海が凍ったのだ。船が、すすまない。
コロナ禍という、進みたくても、
進んではいけない、進めない状況になった。
いつ終わるかもわからない。
ただそんな中でも
漕ぐのをやめなかった。
進めないなら、
温めあってその氷をとかせばいい。
そう言わんばかりに愛情をくれた。
待てばその時が来る、
その間私たちの心が冷めてしまわぬようにと
沢山温め続けてくれた。
おかげで、あらたなeighterもふえた。
再出発が切れたあの日、
8BEATで見た景色はほんとうにほんとうに、
ほんとうに大切な宝物だった。
そして、18祭に続いて漕いでいく、
あの大きなスタジアムはまるで豪華客席。
一生忘れることはない。
次は20祭、さあ!まつりだ!
と、思ったが、もう何度目かの大嵐
まさかあの事務所が潰れてしまうとは思わなかった。
確固たるものだったが故、
今いるその海さえをも否定されているようだった。
海が枯れる
そんな感覚だった。
でも関ジャニ∞の手漕ぎ船だぞ?
海が枯れたら、船にタイヤでもつけるだろう
って思ってた。
それくらい、関ジャニ∞という船は大きくなっていて、そして大切ないろんなものを抱えている存在だった。
だから、変わるわけないって
ずっと信じてた。
でも、それを今日、
2024/2/4 12:00
5人で、関ジャニ∞という大きな豪華客席になった手漕ぎ船から、降りることになる…
納得がいくいかない
と
ついていくいかない
は別物だから私はついていく。5人に。