「うちの子、おたくの子にえらい酷いことされてる言うてるんですぅ!!!お宅の教育はどないなっとるんですか?!!!どないして謝罪してくれるおつもりですか?」
悲しかった傷ついているという自分以上に、怒りの感情を沸かせて、私の手を強く握っていじめっ子の家に怒鳴り込んだ母親の姿を私は忘れない。
私を守るために、親として、自分以上に誰かに怒りをぶつけてくれる存在に安心した記憶が強くある。
父は怒りの沸点が20℃くらいの易怒性の高い人だと認識していたので、いじめられていたことは父に言えなかった。
初めて母にいじめられてることを伝えたときも、「絶対にお父さんには言わんといてな?止められないくらい怒ると思うから…」と伝えてから告げた。
この時の母は、私がいじめられて辛くて悲しくて痛いこともされるという傷つけられている「事実ベース」で、それを怒っていいかを私に確認してから怒鳴り込んだ。
なにぶん7歳の私には土下座の意味がわからなかったが…笑
私は母親になったことがないから、心の底から自分の命より大切に思えるものを知らない。
でもきっと自分が100本のナイフを刺されるより、痛く辛く身がちぎれるほどの思いをさせたに違いないと子どもながらに思ってる。
だからあれだけ怒りが湧いていたのだと。
26歳になった今でも未だに、あの時いじめられてしまってごめんなさいと思う気持ちはゼロにはならない。
まぁ、私の話はこのあたりに置いておいて…
このように一般人は自分に向けられた刃物のような言葉に対して、ひとりで飲み込んだり飲み込まなかったり誰かに愚痴に昇華したり対話で解決するなり、自分主導でいいのである。
そしてあくまでも自分が傷ついたという"事実ベース"で、せいぜい親や親友の範囲の人たちが一緒に傷ついて怒ってくれるくらいで済む。
でも、有名人になるとそうではない。
ファンという立ち位置には各々、多種多様な形をした好意や親心を持って立っている。
有名人…特にアイドルのファンにはそういう方が非常に多い。(以下「推し」と示すこととする)
推しからすると自分のことのように喜んでくれたり泣いてくれたりする有難い存在であり、ファンもまた自分のことのように嬉しく悲しくなったりする尊い関係性である。
だからこそ、そんな推しに向けられた刃物にはファンは愛情表現の一貫つもりで怒り狂い盾になろうとする。そうなりやすい関係でもあるのだ。
推し本人が、どれだけ気にしてない/全然痛くも痒くもない/興味もない、としても自分以上に傷ついてしまう自分のファンがいる。
自分の心の圏外に、大量の、自分で操れない、いろんなレベルの耐性・強弱・をもった心が自分を取り巻いてる。
もちろん"事実ベース"で、自分が悲しいと言えば一緒に悲しんだり、自分がこういう迷惑行為に困っていると言えば怒ってくれるなら心強くていいんだろう。(いいかどうかは知らないけど…)
けれど実際はそうでない。
ファンが見える範囲のやりとりや関係性の上で、各々自由に想像を巡らせて「私の推しが傷つくじゃないか!」と、あくまでも勝手に怒りを沸かされたりする。
傷ついてなくても、まるで傷付けられた人かのようにつくりあげられて、そこに怒りを付随させられてしまう。
そして自分の心の圏外にある怒りが、また誰かを傷つけてしまう。
自分の気持ちの圏外で、あらぬ気持ちがあるかのようになってしまう恐怖。そしてその怒りがとんでもなく大きく爆発することもある。穏やかな界隈に飛び火することもある。
そんな恐怖がある中では、そりゃあファンに弱音なんて吐けたものではない。
もちろん他人の気持ちを先回りして考えるということは「他者への想像力」として"自分が"人を傷つけないために必要な力だと考える。
しかし、そこに自分の感情(特に怒り)を沸かさないのは大切なのだ。
怒りが沸いてもいいけど、行動しないこと。
「こんなことを言われた推しは傷ついているだろう」というものは、とどのつまり、自分自身が傷ついただけであることを忘れてはならない。そしてこれはあくまでも推しという見えているようで見えない存在であることも忘れてはならない。
推しが傷ついたと思うから怒るとか応戦するとか、そういうのはとても暴力的である。当事者のいない空中戦争をうむ。
私はいいんだ傷ついても、で、あればそれはそこで止めないといけない。
何より、誰かの傷を見て怒るときは、自分も怒っていいか確認を取ること。
勝手にその人より怒りすぎないことはとても大切なのである。
かくいう私も、大切であれば大切であるほどに先どうしても難しい行動なのだが、、、
とにかく相手が話してもよかったと思えるような空間にするためにはこういう「控えること」も、時には大切になるのである。
まぁね、最初のいじめに関しては親の皆さんは必ず子どもをギュッとして辛かったな、と言ってあげてください。お母さんもお父さんも悲しいよ〜という姿を見せるのは少し待ってあげてください。
子ども的には、どうして欲しい?と尋ねてから然るべき行動を取ってもらえると救われる子がいます。性格によるけど。
怒りという感情は、喜怒哀楽の中で大変暴力的であり、自己の中で留めておけない扱いにくいものですよね…という話でした。