大倉忠義とともに生きようか。

惚れたんやから、しゃあないやん?たまに更新。

安田くんのLIFE ISを読む前に…

2020/09/24 安田章大 LIFE IS

が、発売された。


まだ読む前だが、発売にあたって、大倉くんを好きというフィルターを持つ私が、この数年間を安田くんの病気や怪我のことから感じてきたことを、写真集を見て何かが変わる前に、まずしたためさせていただきます。(めっちゃ長いけど、辛辣なことは書かないから安心してね)


2018年7月2日

忘れもしない。4回生の頃。大学からの帰宅途中。

札幌ドームでの公演を待つ中で、「お知らせ」が届く。しかも、"安田章大の体調について"と。今まで静かだったものが急に音を立てて動き始めた感覚。胸騒ぎだった。

帰宅し、トイレの中で再生した。


告げられる話の全てが、帽子とか、顔貌の変化、色付きメガネ、打撲にしては長い休暇、、、章ちゃんへの違和感を持っていた点と点を結び付けていく。


腰の骨折、髄膜腫、腫瘍は良性だったこと、ライブはやること、でも途中で止まるかもしれないこと・・・

正直、少し停止させては再生し…を繰り返して、ひとつづつとにかく受け止めようとした。


心臓に、冷たい氷水を注がれたような…心臓が冷えるような感覚がした。

心がシクシクした。すり傷のようなヒリヒリ感…

嘘…嘘…と思う自分の気持ちが、なんとか、辛気臭くならずに伝えようとしてくれる章ちゃんや関ジャニ∞の姿に、追いつくことができなくて、それがすごく心に滲みた。痛かった。

声にならなかった。言葉も出なかった。

頑張らないで…それしか出なかった。


そして真っ先に、安田担の友達たちが心配になった。言葉を考える余裕もなく、ただ、大丈夫?と、送ったことを覚えている。


そして次に浮かぶのは、忠義さん。

忠義さんの大好きなヤス。ほんっとうに、かけがえのない存在で、心の支えの、ヤス

明らかに目が抜け殻になることが増えた忠義さんの理由がまたひとつ分かったから、心は大丈夫かなぁ…と、お酒に溺れてない?と心配が頭の中をぐるぐるしていた。


そして、何度も何度も、見て、関ジャニ∞のことを想った。

あぁこんな大事なメンバーの危機を抱えて笑っていることが、どれだけ苦しかったろうか… と。

中学で、父を病で亡くした私にとって、闘病する者の傍にいることや、表に出さないように振る舞い続けることの苦しみが、痛いほど分かるが故に、その感覚がどうしても強かった。


そしてその後に更新されたweb。

あいつはさ…と、思うことをちゃんと伝えてくれた忠義さん。

亮ちゃんと忠義さんが、2人して、無理したらステージから引きずり下ろすだの、章ちゃんの分まで踊る!と、言っていたことがすごく、心強かった。

章ちゃんは独りじゃないんだから…

そう思えたことがあの時の心の支えだった。


そうして、安田くんの体調を不安に思いつつ、走り出したGR8EST。正直ほとんど泣いてた(笑)涙で滲んで景色がずっと揺れてた。でもちゃんと言葉は心に残っている。

6人と、eighterで、駆け抜けた。不安に塗れてヘロヘロになりながら…

台湾からの凱旋を終えて、ひと段落だった。


しかし、なかなかメガネへの理解は進んでおらず評判が良くないのも見ていたりした。私は、一応は看護師だ。なんとなく脳の手術の部位的に難しかったのかもしれないな…など思っていたが、詳細を知らないため分からなかった。

こればかりは病識だけでなく術式や、部位などの情報を知り、どれだけのことをしたのか、確かめたり目の当たりにしないと受け入れることは難しいのかもしれなかった。


でも、安田章大安田章大である。

全ての経験が、安田章大を作っている。

なんで…なんで章ちゃんにばっかこんなことが起こるの?そう思うことはゼロではなかった。

でも、目の前で、ステージに立ち続けてくれる「関ジャニ∞安田章大」がいる。ステージで笑い続けて人のことばっかり思い遣ってて、優しくて強い、変わらない章ちゃんがいるから、私は、この人はきっと"そういう"使命を、与えられた人なのかもしれない…と感じ、それならば、私は、全ての経験も感情の揺らぎも変わりゆく容姿もなにもかもをひっくるめて「関ジャニ∞安田章大」だと、受け容れて、愛していこうと思った。


どんな辛い経験をしていても

丸ごと受け容れ愛を与えてくれる人がいれば

腐らずにちゃんと前を向けると

私は父の死を通して、友達から教わった。

だから今度は、それを私が誰かに…

と思っていた。

その相手のひとつが関ジャニ∞になった。



そうして、過ごしていくうちに

関ジャニ∞は5人になった。


少し話は逸れるが、ぼち夜で章ちゃんが「身体のこと理解してくれるメンツが〜」と、言っていたが、別に、ここから亮ちゃんへの不満とか毛頭湧かない。

それは、関ジャニ∞はメンバーが大好きで、お互いがお互いを大切に、尊重・尊敬し合える人間であることを、約17年で、ちゃんと知っているから。

私なりの咀嚼であるが、例えば、自分の足が折れて歩けません。となった時、今までできたことができなくなるもどかしい気持ちを多くの人が感じると思うが、「関ジャニ∞」というひとつの塊を見たときに、今までできてた○○ができません、と急になったとしたら…?

もどかしいし、受け止めてなんとかできる方向を模索するかもしれないけど、でもできない。できたとしても、どこかを苦しめる。とくに弱くなったところはとても負担がかかる。

でも、自分ひとり苦しくなってもいいから、切り離れたら、失うことはそら沢山あっても、また可能性は無限に取り戻せる…そして、自分以外の大切な誰かを苦しめることはしなくてよくなる…

それが可能な状況でもあった。し、十五祭は、その最後のチャンスだったろう。

ならば…

と、そのように私は受け止めている。それが私の心にとって楽だから。


難しいけど、私なりにはそう咀嚼して飲み込んだ。


そして動き出した5人の旅路。


47UPDATE松竹座で、見慣れない5人の関ジャニ∞だったが、GR8ESTの時のような、悲しいとか不安とかばかりではない。だって、章ちゃんもだいぶ踊っているから。

そして、この先を、まだ歩み続けることを選んでくれた5人が、とてつもなく楽しみだと思えた。また、はじまるんだと…思えた。


なのに、今度はコロナ…

LIVEは軒並み延期、いったん停止、そして中止。

そんな中でも、常にeighterの手を掴み、絶対離さないでいてくれた5人。すばるくんも亮ちゃんも、繋いでてくれたね。

彼らはそういう人やん!とすごく思ったよ…肩を組んでいたあの頃も、離れたところにいる今も、「心の根っこ、そっくり」な、関ジャニ∞を好きでいて良かったなあ…って。


そしてやっぱり、関ジャニ∞が章ちゃんの手術や後遺症、骨折…3度目のグループの再構築などの経験を通して、これまでの何倍も、人への思いやり、優しさ、強さ、賢さ、忍耐…を兼ね備えるための機会にもなっていたんだな…と…

色々、落ち着いて受け容れていけた今だから、そうすごく思う。


もちろん病気なんて手術なんて骨折なんて、して欲しくなかったけれど、昔からピンチをチャンスにする変換率が高すぎる関ジャニ∞だからこそ、仲間のピンチを支え合って、乗り越えてくることができたんだね…

と、思えるようになった。


それもこれも、本当に、いろんな困難を笑い飛ばして、泣きたい時は泣かせてくれた関ジャニ∞がいたから。

そして何より、病気や手術や怪我や後遺症と正面から向き合って闘って受け容れたりしながら生きる安田くんが、今日もその足でこの地球の上に、逞しく立って、笑っていてくれるから。


明日ありと、思う心の仇桜。

今日を生きるあなた達を
今日も目一杯愛せて幸せです。
今日も目の前にいてくれてありがとう。
ずっと手を離さないでいてくれて
本当に本当にありがとう。

明日も明後日もなるべく永く
一緒にいられますように。

2020/09/24 わたし。