大倉忠義とともに生きようか。

惚れたんやから、しゃあないやん?たまに更新。

ハザカイキ4,5 13:00 (ネタバレ有)

 

待ちに待った久しぶりのエイトの現場。

 

丸ちゃんの舞台、ハザカイキ

 

私はあろうことかFC枠での応募を失念して、

一般枠で取ったチケットだったが

まさかのこれがE列の真ん中ブロックと

とても近くて久しぶりにドキドキした笑

 

見やすかった。

 

まぁそれはさておき、この舞台

絶対に絶対に絶対に、すべての芸能記者

eighterとかジャニオタとか関係なく

すべてのSNSユーザーに見てほしい舞台だった。

 

特に2023年を生きたジャニオタ

また、界隈関係なく全てのSNSユーザーには

思い当たることしかないし響くはず。

これは『ネットリテラシー』を深めるための

第一弾目にあるべき心の教育だったようにおもう。

 

 

舞台も終盤になると

とんでもない世界に連れて行かれた感覚になったが

この舞台で扱われたすべてが、

本当に今この世の中で起きていることであり

自分自身がその世界に生きていることに

とても苦しくなったし悔しさと怖さを感じた。

 

すごく胸糞が悪いなと思うシーンもあるけど

それは私自身もうしろめたいことをしたことが

きっとあるんだろうと思った(タニシばっかりとってます)

 

そして自分すら当事者であったかもしれないし、

今後、当事者になるかもしれないということを

再認識させられる舞台であった。

 

これは舞台でしかできないと思った。

画面の中では伝わりきらないとおもう。

それくらい舞台である意味しかないものだった

 

 

 

-------------ここからネタバレするよ-------------

 

 

 

 

話のストーリーとしては、

主人公の週刊誌の記者が、

今もっとも旬な女優の熱愛のリークを受け

それを追いかける中での出来事。

 

 

最終的に記者本人も取材とプラベを切り分けずに

なんの気なしにガルバで撮った

自分自身のふざけた写真をリークされ

顔の見えない世間から誹謗中傷を受ける。

その傷を負った記者は初めて真の怖さを知る。

一線はすでに超えていたかもしれないが

記者として人を殺す前に自分を殺されかけることで

痛みに気づき、人間としての一命を取り留めていた。

 

 

 

舞台は2幕構成

1幕は、追いかけていく表の姿をメインに。

2幕は、それぞれの登場人物の背景をメインに。

 

舞台の上座下座でセットが回転して変わったり

歩道橋という高い位置に移動したり、

真ん中からサウナや居酒屋のセットが現れたり

それぞれほぼ同時並行で進んでいくそれぞれの人生が

視覚的にも時間的にも畳み掛けるようなスピード感で

2倍速人間でも飽きずに見てられて

わかりやすく面白かった。

 

 

てか丸山さんのお尻綺麗すぎ。

わたし的には丸山さんの肛門日光浴ぶりのお尻です。

違う、あの、腹筋絞られてて半端なかった

身体から好きになりそうだった危ない。

終盤のキスシーンのたぬき顔かわいすぎた。

てかタバコもとても色っぽかったわ。

丸ちゃんに酔うた!さいこう!

 

 

 

で、話を戻して〜

登場人物全てに人間らしい人生があることに

フォーカスされたのがよかった。

 

例えば現マネージャーはかつて俳優を目指していたが

挫折して憧れの人の元で働きたくて今に至っていたり

スナックの女の子はいじめられていた妹を守れず

自殺で亡くしてしまっていたりだとか…

 

舞台という限られた時間の中では

たいてい主人公の過去に迫っていったり、

それぞれの共通した過去に迫ることは多いけど

この舞台はそれぞれの登場人物の「今」に繋がる

別々の「過去」にフォーカスが当たる瞬間があった。

 

この舞台に脇役はいなかった。

 

同じ時代をいきている人にはそれぞれの過去がある。

その行動や考えに至る理由と背景がある。

生きているとたくさんの人に出会う。

出会いの数だけそれぞれに過去を持つ長い人生と交差する。

そのたった一瞬の交差点で色々な情報を交わす。

自分の過去から学び得た価値観や正義感と異なると

みな様々な我を正当化し、守りながら攻撃しあい、

互いに傷つけ傷つけられ、苦しみ苦しめたりする。

 

多かれ少なかれすべての人間が持っている

誰かにとっては脅威的で暴力的な一面。

 

それは例えば今回だと

成功した友達への羨望・妬みだったり

LGBTQについていかにも理解しているつもりの差別的な思考だったり

威圧的で大きな声を出せば従うと思う感覚だったり

すぐにパワハラといえば解決する感覚だったり

仕事上知り得た情報でも間違えてると思ったことなら名指しでSNSにあげる行きすぎた正義感だったり

そんな正義感を擁護する感覚だったり

挑発的な言葉で人の興味をひこうとする感覚だったり

 

 

老若男女問わずみんな誰かにとっての脅威であり、

みんな誰かを脅威に思う瞬間もあるもの。

みんなそれぞれに、そんな一面があるんだと思う。

それが全くない人っていないと思う。

あっても別にいいことなんだけれど、

それを許容したり律せてるかどうかの違い。

 

 

このSNSの時代になって、即時に拡散して

自分の不利益なく他者を攻撃できる世になった。

それに伴って、自分なりの正義感を容赦なく

振りかざせるようになった。

そして一度指先で放った言葉は消せない。

 

本当の意図の確認もせず、

その一瞬の表面だけを誇張した訴えに対して

同調するものもつくようになった。

特に、言い過ぎであればあるほど…

「可哀想」であればあるほどに、

「正義感」を振りかざした批判の声は強くなる。

さらにそこにマスコミが火に油を注いでいく。

 

 

たとえそれが誰かがうっかり起こしたことでも

そんな背景ものともせずに結論ベースで責め立てる。

たとえそれが後から間違いだったと言われても…だ。

軽い気持ちで言ったこと、誰も後には引けなくて

謝れないまま燃え尽きるまで燃やすのだ。

 

 

そんな風に過激化していったSNSの世界で

攻撃側になれば自分は攻撃されないと、

大丈夫だと思っていた記者は

結局、「これくらいいいだろ」という

自分自身の何気ない行動に足元を掬われた。

 

自分で沸騰させた鍋に落ちて痛い目にあっていた。

記者の行動はすべて胸くそ悪かったけど、

記者が痛い目にあったからといって

べつにスッキリもしなかった。

きっとこの世の中、その程度の同情なんだと思った。

 

 

謝罪会見のシーンは圧巻で、

結局のところ人と人との交差点で起こる出来事は

○○だろう…とか「イメージ」とかで

自分勝手に構成されている部分がある。

その中で自分のイメージと異なることがあると

すぐ違和感や脅威を覚えてSNSにあげてしまう。

そしてまた互いに傷つけあう…

 

 

登場人物がそれぞれに謝りあうシーンでは

謝ることの大切さを痛感した。

意図的でなかったことや間違えていたことを認める。

特に、風間さんの演じる橋下の謝罪には

胸が詰まるような思いだった。

ハラスメントだとすぐに言ってしまうけれど

もちろんハラスメントは良くないにせよ

時代に追いつけなくなった人たちを

老害だと簡単に切り捨ててしまうのは良くないと感じた。

私たちもいつか時代に取り残される日が来る。

あの時は許された、自分の時はこんな苦労をした…

そう思って変わろうとできない自分に、

少しでも真っ直ぐに伝えてくれる若者がいれば、

すぐには無理かもしれないがきっかけになるかも知れない。

自分もすぐに環境に嫌気がさすとやめちゃうから

少しでも向き合う気持ちを持たなきゃと感じた。

 

もちろん放ってしまった言葉で

相手を傷つけた事実は変わりないし、

謝ったとて全てをチャラにすべきじゃないけど

非を認め、謝れることはとても大切なことで、

人と人は新たな再スタートを切ることができる。

そんな希望じみたものも感じるラストだった。

 

 

 

今の世を生きるすべてのSNSユーザーが見て欲しいし

まず自分も気をつけないといけないなと思った。

自分が見えてる側面だけがすべてじゃない。

そんな当たり前なことわかったつもりだった。

改めて気づかしてくれてありがとう。

ほんとハザカイキ最高だよ。

『関ジャニ∞』という名の豪華客席

関ジャニ∞

8人で乗り込んだ『関ジャニ∞』という手漕ぎ船

 

この船、港から海に出港したんじゃないよ…

なんなら淀川の上流からスタートだったよね。

 

よっしゃ手漕ぎ船でもいったるでー!

というような感じで漕ぎ始めて、

大海原に出ることになった。

 

でも海は手漕ぎ船には味方してくれやしない。

大海原に出たすぐに、大嵐が来た。

 

いとも簡単に、内博貴という大事な大事なメンバーをさらっていってしまった。

 

 

8人乗りの船だ。

バランスを取り戻しながら漕ぎ続けた。

いろんな所に行って、いろんな武器を身につけた。

 

楽器、バンド、お笑い、バラエティ、司会、お芝居、しゃべり、食レポ、、、

そしてそれらが『関ジャニ∞らしさ』になっていった。

 

関ジャニ∞の船、はじめはほんとに何もなかった。

ちょっとあれやけど座布団すわってー、っていうような感覚だったの。茶の間eighterだったからほんとにその感覚が強い。

 

けど、

船を漕ぎ進める姿に胸を打たれた人

挑戦して真剣に向き合う姿に心打たれた人

そのおしゃべりの面白さにのめり込んだ人

音楽や歌声という武器に惚れ込んだ人

いろんな人が船に乗り込んで船が大きくなった。

 

 

8人乗りの手漕ぎ船には、いつしかたくさんの海を渡るための大きな帆やエンジンを増やしていった。

 

順風満帆な状態とはこの時期か

と思っていた矢先またも大嵐、

しかもひとつじゃない。

 

まるで船頭のような渋谷すばるが、

自分の船を漕ぎたいと、自分で世界を見たいと

船を降りた。

大切なメンバーの安田章大が大きな傷を負った。

 

船が進めるかわからないときもあった。

6人でとにかく漕ぎ続けた。

 

けれど手漕ぎ船は、みんなで息を合わせて

オールを漕がなければ前に進まない。

船頭を多くし船山に登るともいう。

 

大きなバランスを崩した中で、

それぞれがなんとか前に進むために

必死にオールを漕いでくれていた。

 

でも、前に進みたいスピードが異なり

今まで通りにいかないことの山に直面し

絶妙に合わせていたオールを漕ぐタイミングの

息が合わせられなくなった。

 

大きなエネルギーでもあった錦戸亮もまた

自分の船に乗ることとなった。

けれど、あの頃の関ジャニ∞という

大きくなった船を必死に沈まぬように

前に前にと動かしてくれたのは、

紛れもなく亮ちゃんだった。

 

 

そして5人で新たにスタートを切ることになった。

「もう、、、これからは」

という覚悟の中で進むことを決めた8人乗りに5人で乗ってる手漕ぎ船

47都道府県を大きくなって戻ってこようとした。

 

再スタートの矢先、思いもよらない、

あの海が凍ったのだ。船が、すすまない。

 

コロナ禍という、進みたくても、

進んではいけない、進めない状況になった。

いつ終わるかもわからない。

 

ただそんな中でも

ジャニーズ事務所関ジャニ∞という船も

漕ぐのをやめなかった。

 

進めないなら、

温めあってその氷をとかせばいい。

そう言わんばかりに愛情をくれた。

 

待てばその時が来る、

その間私たちの心が冷めてしまわぬようにと

沢山温め続けてくれた。

 

おかげで、あらたなeighterもふえた。

 

再出発が切れたあの日、

8BEATで見た景色はほんとうにほんとうに、

ほんとうに大切な宝物だった。

 

 

そして、18祭に続いて漕いでいく、

あの大きなスタジアムはまるで豪華客席。

関ジャニ∞に向けられる大きな喝采

一生忘れることはない。

 

 

次は20祭、さあ!まつりだ!

と、思ったが、もう何度目かの大嵐

 

まさかあの事務所が潰れてしまうとは思わなかった。

確固たるものだったが故、

今いるその海さえをも否定されているようだった。

 

海が枯れる

 

そんな感覚だった。

 

でも関ジャニ∞の手漕ぎ船だぞ?

海が枯れたら、船にタイヤでもつけるだろう

って思ってた。

 

それくらい、関ジャニ∞という船は大きくなっていて、そして大切ないろんなものを抱えている存在だった。

 

だから、変わるわけないって

 

ずっと信じてた。

 

でも、それを今日、

2024/2/4 12:00

5人で、関ジャニ∞という大きな豪華客席になった手漕ぎ船から、降りることになる…

 

 

納得がいくいかない

ついていくいかない

は別物だから私はついていく。5人に。

関ジャニ∞は○○だよ。

関ジャニ∞との出会いについては度々話しているので、知っている人もいると思うが、私は小1の頃にひどくいじめられた時間があった。

 

人格形成にとって大切な時期。

 

わたしは対外的に人当たりのいい性分で、周りにバレないようにと努めながら、1人でずっと暗闇の中にいようとした。楽だから。

 

けど、そんな真っ暗闇でモノクロの世界に生きてた私に一筋の光が差し込んだ。

 

あれは本当に人生の転機だった。


はじめて開いたドル誌で、自分と同じ誕生日と血液型の、どうしても惹かれる素敵な目をした忠義ちゃんに出会った。
この人についてけば間違いない』って思った。

 

私が生きてていい世界をくれた出会いだった。


光をてらし、色をつけ、笑いをくれた。


いじめから、私の私のための人生を取り返してくれた。


ほんとに人生の大きな財産で、命の恩人だと思ってる。

 

あの時、関ジャニ∞がなかったら、
あんな目の奥に熱さを持った大倉くんに出会えなかった。
そうじゃないと見つけられなかった。
そしたら、私は今の人生にはなってなかったと思う。


自分の力で取り返すにはまだ幼く、力もない私に
耐える力も、賢さも、頑張り方も、居場所の作り方も
いろんなことを教えてくれた関ジャニ∞
 


つらい時に寄り道する先が関ジャニ∞だった。
絶対笑わせてくれるのわかってたから、ついつい開く。


お父さんとの死別に耐えられなかったときも、
看護実習のときも、助産師のための大学院のときも心に関ジャニ∞を宿してた。

 


関ジャニ∞ってわたしにはほんとに…大切な人生の芯のひとつ。


人格形成をミスりそうな時期のあの経験をしてでも、曲がらずに生きてこれたのは真っ直ぐなものさしを背中にさしてくれる関ジャニ∞がいたから。


一生懸命は美しいことを教えてくれたのも、自分の人生に一生懸命にさせてくれたのも関ジャニ∞


正解はつくるものということを教えてもらったのも関ジャニ∞


ありがとう。ほんとにありがとう。

関ジャニ∞は人生の教科書で、魂で、道標で、船で、無限大の可能性です。

 

 

さあ、次はどんな世界を見に行きますか。

ありがとう。

 

関ジャニ∞という船は小さなぼろぼろの、板で作った船だったかもしれないけれど、いろんな装備をカスタムしまくってきた最強の最高の船だね。

 

新しい船、頑張れよ。

ジャニーズ事務所と私

私が最初にジャニーズにふれたのは

ウルトラマンティガ。一歳くらいの頃。

長野くんに正義の種を植えてもらいました。

 

小学一年生でいじめられました。

六年生の男2人に。

暴言に暴力に、毎日が怖くて、

私の心はぐちゃぐちゃにされました。

「キモいから笑うな」と言われ続け、

笑えなくなり白黒の世界に閉じ込められた。

そんな私に光をくれたのは

同じ誕生日血液型の関西人の大倉くんでした。

 

大倉くんに出会った瞬間

この人についていけば間違いない

そう思った感覚は覚えています。

 

それから大倉くんと関ジャニ∞には笑顔を取り返してもらい、人生に色を増やしてもらいました。

 

そしてまた大倉くんとの出会いは、ジャニーズというものを改めて触れるきっかけでした。

 

 

その当時は

嵐、NEWS、関ジャニ∞KAT-TUN

このあたりの層が常にテレビにいました。

 

先日、友人と話をした時

ジャニーズは日本にいろんな音楽の垣根を壊したよね

と話していました。

 

例えば、ヒップホップ

当時はまだまだガラの悪い音楽のように

扱われていた感覚がありました。

見た目から仕方ないだろうけど笑

私はKAT-TUNでは田中聖が好きでした。

彼がJOKERとして綴るリリックライムフロウ

とても好きで、新しい音楽との出会いでした。

 

もちろん翔くんのものも好きだけれど

私は田中聖のラップが好き。

 

大人しくて真面目な子どもだった私が

ジャニーズに触れずに生きていたら、

見た目と言葉遣いだけで

きっと毛嫌いしていたかも知れない。

 

しかし、ジャニーズを好きになったことで、

そんな偏見なんてなく、垣根なんて感じず

ただ面白い、好きだ、素敵だと思えた。

 

 

ジャニーズは人の世界を広げる天才だ。

ジャニーズだから見る、聞く。

それで知る、理解する。

そこから魅力を感じるものもあれば

逆に興味ないを知ることもある。

ただ全てが出会いなのだ。。。

 

ジャニーズが魅せてくれる世界はいつも豊かだ。

しかしこれはジャニーズが「本気で」「真剣に」

全ての物事に取り組むからだと、

大人になった今ならわかる。

 

 

"オタクが"ヒップホップに興味を持ったり、知るきっかけを作った櫻井翔

ヒップホップの界隈の方がジャニーズ"なのに"マジな奴がいるとなるきっかけを作った田中聖

それだけじゃない。

ゆっちのボイパもそのひとつだと思うし。

TOKIO関ジャニ∞のバンドだってそう。

ひとつの音楽的な文化の垣根を壊すきっかけだったと私は強く思っている。

 

中途半端じゃ絶対できない、本気だからできたこと。

 

 

きっと彼らは、「ジャニーズのアイドル」という偏見で見られていることを理解していて、本気でそれらに向き合ってなければ貶されて終わりなことを、きっと彼らは誰よりも知っているからこそ本気だったのだと思う。

 

 

ジャニーズは日本の芸能文化を、

どれほど大衆に広めてきたことだろう…

 

 

ジャニーさんは、

「やるなら本気でやってよ。成功したらYouの勝ち。」

その精神をきっといろんな子に向けていたのだろう。

 

そのおかげでいろんな物事への垣根が溶けていく。

それぞれのジャニーズのタレントがそれぞれに壊してきた垣根ってあると思うんだ。

例えば、宮田くんや佐久間くんならオタクとの垣根を壊した存在だろうし

例えば、TOKIOだったら言わずもがな。

岩本照だったらガチの筋肉とSASUKEと…

インテリ系も数多あり

 

この国が、豊かなトレンドに溢れているひとつひとつの小さかったり大きかったりするきっかけを、沢山の人に与えてきたのがジャニーズだと思う。

 

 

ジャニーさんが惜しげもなく、お金を注ぎ、色々な世界を見せ、いろいろなことを感じさせて来たことが実を結び、ひとりをつくる。

そのひとりに対する多くのファンにまた世界が広がっていく。

 

これはまさに平和なことだと強く思う。

 

 

ジャニーズ事務所

私の人生の中に色を足してくれた存在であり

色眼鏡は外させてくれる存在で

ジャニーズがいたからいろんな知見が増えた。

 

 

ジャニーズ事務所が豊かにしたのは、

ジャニーズのタレントだけではない。

彼らについたファンのそれぞれの人生を豊かにした。

 

 

ジャニーズ事務所には感謝してもしきれない。

私の人生を豊かにしてくれてありがとう。

 

ただただありがとう。

ここまでの人生の豊かさを与えてくれて

本当にありがとう、、

ジャニーズ事務所がある時代に生まれたことが幸せです。

言わなくていい。

 

関ジャニ∞さんはまだ何も言わないの。

 

言ったとしても心配かけてすみませんとか、

全体的なそういうところについて。

 

私の大好きな5人はまだ

恩師のことを何も言わないの。

 

もし仮に彼らが情報番組に出る側でも

言わないだろうなとは思っていたよ。

 

口が裂けても言わないと思う。

彼らはそういう人だと解釈している。

 

 

これは決して期待とか要望ではないので

もし異なる行動をとっても

それに対して何か幻滅したりはしない。

 

 

ただ、彼らは覆水盆に返らずということわざを

とってもよく理解している。

一度口から出た言葉は取り返しがつかない。

 

 

もし、被害が本当だとしても嘘だとしても

大切な恩師のあらぬウワサに対して、

「証拠もない」中、強い言葉で非難して、

自分の大切な存在にナイフを刺していくなんて

そんなことを彼らはしないと思うの。

 

 

私の大好きな彼は、ひとつひとつの言葉を

ゆっくりと、確かに伝わるように紡ぐ人。

言葉の面白さを、心強さを、そして怖さを

とてもよく理解している人。

 

 

言わなくていい。

謝らなくていい。

心配くらいさせてくれ。

それくらいしかできないのだから。

 

 

関ジャニ∞が大好きだぞ。

恩も義理もしっかり抱えて生きていく。

それでいい。それがいいんだよ関ジャニ∞

 

 

わからないウワサなんかで、

自分の心を捻り潰してまで、

大切な人を犯罪者扱いして

大切な思い出まで塗りつぶさなくていい。

 

 

せめて貴方達は心に従って、味方でいたけりゃ味方でいい。

違うければ違うでいい。

 

辛いよな、休んじゃダメなんて言わないし

休んでほしいとも言わないよ。

ただ立ち止まるならば一緒に立ち止まる。

このことも猛ダッシュで駆け抜けるならば

私もついていくからね。

 

 

もうあの頃の泣きっぱなしのeighterじゃないよ。

関ジャニ∞に沢山強くしてもらってきました。

5人の関ジャニ∞に。

 

 

関ジャニ∞が強くなれる存在になりたいです。

いつかまた関ジャニ∞と叫べますように。

 

ジャニーズを選んだという事実。

ジャニーズ事務所を退所します」

その裏側に

ジャニーズ事務所と契約を続けます」

と伝えている彼らがいる。

 

ジャニーズには、年に一度の契約更新がある。

彼らは毎年そこにYESを返して生きてきてくれて目の前にいる。

 

彼らにも当たり前のように契約継続を選んでいた時期があるだろう。

 

しかしながら、度重なる仲間の旅立ちの中でそんな当たり前がなくなったことだと思う。

 

彼らはグループだから、そんな居場所があることが心の支えや安心でもあり、仲間の頑張りという刺激でもあり、自分ひとりの力じゃ立ち向かえそうにないことにも立ち向かえる計り知れない期待値にもなることだろう。

しかしその反面、全部が全部自分の思うような方向には進めないといった足枷にもなるんだろう。

 

 

野心がある人が残れる世界に生きる彼ら。

「あれをやりたい!」「こうしたい!」が常に湧いてくるなかで、グループみんなで同じ方向を向き続けることの難しさ。

 

みんなの望む最終到着地点が同じだったとしても、どの道でどんなスピードで辿り着くのかについては、見えている道は三者三様ある。

 

グループである本人たちですら同じは難しい

 

選んだ道を歩いてる時はわからない。

その先に望んだ未来が繋がっているのかも。

 

でも終わりが来ること、時間のスピードは平等だ。

 

だから人は選ぶ。

 

「変わること」はたしかにエネルギーを要することが明白なため、自分で選びとったように見えるしそっちに目がいってしまうけれど、「変わらない」という選択もまた同じく相当なエネルギーが必要になる。

 

「変わらない」を選んだんだ!と思うときは、「変わる」選択肢が隣に大きく聳え立つ時。

きっと多くの迷いも不安もある。

 

年に2000人しか叶えられない夢を叶えて、夢だった世界に生きる権利を得た私が、決意を持って転職をしてわかることがある。

 

常に人は何かを選んでいる。

 

人生は自由なのだ。だから選ぶことができた。

 

だからこそ私はその中で「ジャニーズ事務所にいること」を選び続けてくれている子たちへのありがたみを、私は忘れずに生きていたいなと思う。

 

人生なんてずっと不安なものなのだ。

だから勉強する。

だから夢というゴールを描く。

だから選び続けて生きていく。

 

 

この先もジャニーの選んだ子たちが、どうかステキな世界を作ってくれますように。

 

どんな場所であってもいつか綺麗な花を咲かせてくれることを祈って仲間の背中を見送って、ジャニーズであることを選び続ける大倉くんの幸せな人生に願いを込めて。

 

 

誰かのために、と、怒ること

「うちの子、おたくの子にえらい酷いことされてる言うてるんですぅ!!!お宅の教育はどないなっとるんですか?!!!どないして謝罪してくれるおつもりですか?」

 

悲しかった傷ついているという自分以上に、怒りの感情を沸かせて、私の手を強く握っていじめっ子の家に怒鳴り込んだ母親の姿を私は忘れない。

私を守るために、親として、自分以上に誰かに怒りをぶつけてくれる存在に安心した記憶が強くある。

 

父は怒りの沸点が20℃くらいの易怒性の高い人だと認識していたので、いじめられていたことは父に言えなかった。

初めて母にいじめられてることを伝えたときも、「絶対にお父さんには言わんといてな?止められないくらい怒ると思うから…」と伝えてから告げた。

この時の母は、私がいじめられて辛くて悲しくて痛いこともされるという傷つけられている「事実ベース」で、それを怒っていいかを私に確認してから怒鳴り込んだ。

なにぶん7歳の私には土下座の意味がわからなかったが…笑

 

私は母親になったことがないから、心の底から自分の命より大切に思えるものを知らない。

でもきっと自分が100本のナイフを刺されるより、痛く辛く身がちぎれるほどの思いをさせたに違いないと子どもながらに思ってる。

だからあれだけ怒りが湧いていたのだと。

26歳になった今でも未だに、あの時いじめられてしまってごめんなさいと思う気持ちはゼロにはならない。

 

 

まぁ、私の話はこのあたりに置いておいて…

 

このように一般人は自分に向けられた刃物のような言葉に対して、ひとりで飲み込んだり飲み込まなかったり誰かに愚痴に昇華したり対話で解決するなり、自分主導でいいのである。

そしてあくまでも自分が傷ついたという"事実ベース"で、せいぜい親や親友の範囲の人たちが一緒に傷ついて怒ってくれるくらいで済む。

 


でも、有名人になるとそうではない。


ファンという立ち位置には各々、多種多様な形をした好意や親心を持って立っている。

有名人…特にアイドルのファンにはそういう方が非常に多い。(以下「推し」と示すこととする)

推しからすると自分のことのように喜んでくれたり泣いてくれたりする有難い存在であり、ファンもまた自分のことのように嬉しく悲しくなったりする尊い関係性である。

 

だからこそ、そんな推しに向けられた刃物にはファンは愛情表現の一貫つもりで怒り狂い盾になろうとする。そうなりやすい関係でもあるのだ。

 

 

推し本人が、どれだけ気にしてない/全然痛くも痒くもない/興味もない、としても自分以上に傷ついてしまう自分のファンがいる。

自分の心の圏外に、大量の、自分で操れない、いろんなレベルの耐性・強弱・をもった心が自分を取り巻いてる。

 

もちろん"事実ベース"で、自分が悲しいと言えば一緒に悲しんだり、自分がこういう迷惑行為に困っていると言えば怒ってくれるなら心強くていいんだろう。(いいかどうかは知らないけど…)

 

 

けれど実際はそうでない。

 

ファンが見える範囲のやりとりや関係性の上で、各々自由に想像を巡らせて「私の推しが傷つくじゃないか!」と、あくまでも勝手に怒りを沸かされたりする。

傷ついてなくても、まるで傷付けられた人かのようにつくりあげられて、そこに怒りを付随させられてしまう。

そして自分の心の圏外にある怒りが、また誰かを傷つけてしまう。

 

 

自分の気持ちの圏外で、あらぬ気持ちがあるかのようになってしまう恐怖。そしてその怒りがとんでもなく大きく爆発することもある。穏やかな界隈に飛び火することもある。

そんな恐怖がある中では、そりゃあファンに弱音なんて吐けたものではない。

 

 

もちろん他人の気持ちを先回りして考えるということは「他者への想像力」として"自分が"人を傷つけないために必要な力だと考える。

しかし、そこに自分の感情(特に怒り)を沸かさないのは大切なのだ。

 

怒りが沸いてもいいけど、行動しないこと。

 

「こんなことを言われた推しは傷ついているだろう」というものは、とどのつまり、自分自身が傷ついただけであることを忘れてはならない。そしてこれはあくまでも推しという見えているようで見えない存在であることも忘れてはならない。

推しが傷ついたと思うから怒るとか応戦するとか、そういうのはとても暴力的である。当事者のいない空中戦争をうむ。

私はいいんだ傷ついても、で、あればそれはそこで止めないといけない。

 

何より、誰かの傷を見て怒るときは、自分も怒っていいか確認を取ること。

勝手にその人より怒りすぎないことはとても大切なのである。

 

かくいう私も、大切であれば大切であるほどに先どうしても難しい行動なのだが、、、

とにかく相手が話してもよかったと思えるような空間にするためにはこういう「控えること」も、時には大切になるのである。

 

 

まぁね、最初のいじめに関しては親の皆さんは必ず子どもをギュッとして辛かったな、と言ってあげてください。お母さんもお父さんも悲しいよ〜という姿を見せるのは少し待ってあげてください。

子ども的には、どうして欲しい?と尋ねてから然るべき行動を取ってもらえると救われる子がいます。性格によるけど。

 

 

怒りという感情は、喜怒哀楽の中で大変暴力的であり、自己の中で留めておけない扱いにくいものですよね…という話でした。